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障がい者の雇用について思う

2018年09月01日

最近、行政機関で障害者雇用の水増しがニュースで報じられている。
一番に規則を守り、他の模範とならなければならない存在がこのようになり本当に残念に思う。
私は個人的によく出入りする福祉作業所があり、そこでは障がいをもつ方が自分に合った仕事をして毎日を過ごしている。
私が調理師で保育園の厨房を任されている関係から福祉作業所の責任者といろいろ話をした際に
お米を精米し販売しているが買う人は決まっていて、なかなか売り上げが伸びない。
どうしたら販路拡大できるか悩んでいた。
そこで私は、無洗米に精米できる精米機を購入し、保育園や学校などで使ってもらえるように交渉を提案した。
しかし、問題は精米機の値段が160万円くらいになり、簡単に出せる額ではない。
でも、検討を重ね、購入することになった。
責任者は
値段が問題ではなく、障がいをもつ方に社会貢献を実感しながら誇りを持って生きていける働く場所を提供していかなければならない。
と信念のお言葉を頂いた。
現場では、障がい者の働き先を作るのに本当に苦労している。にもかかわらず、国が・・・
みんなの障がい者への無関心が招いたことだと思う。
そして、数日後には誰も話題にしなくなる。
人は誰でもいずれは不自由な体になり、誰かに助けてもらわなければならない日が必ずやってくる。もしかしたら、明日かもしれない。
そうなった時、なぜ健康な時、障がい者に理解をしめすことができなかったのか恥ずかしく思う。
私も障がい児の親になるまでそうだった。
記事を書いていて思い出した詩がある。
ドイツのマルティン・ニーメラ牧師のもので
ナチが共産主義者を襲ったとき、自分はやや不安になった。けれども結局自分は共産主義者ではなかったので何もしなかった。
それからナチは社会主義者を攻撃した。自分の不安はやや増大した。けれども自分は依然として社会主義者ではなかった。そこでやはり何もしなかった。
それから学校が、新聞が、ユダヤ人が、というふうに次々と攻撃の手が加わり、そのたびに自分の不安は増したが、なおも何事も行わなかった。
さてそれからナチは教会を攻撃した。そうして自分は教会の人間であった。
そこで自分は何事かをした。しかし、そのときはすでに手遅れであった。
現在は、まだまだ障がい者や福祉について理解される、素晴らしい世界ではないが、理解している少数がもう少し声をあげてみてもいいと思う。
マイノリティで声をあげることが出来ない方々のために!
マルティン・ニーメラ